私と大学   〜その4〜

ご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、放送大学は文字通り授業が電波を通じて、つまり、テレビとラジオで放送されています。
編入するにあたって私はある程度の授業を事前に視聴しました。
また、『この授業をとろうかなぁ?』とあらかじめ考え録画・録音をしました。なにしろ、通信制の大学を卒業できなかったという前歴がありますから、今度こそ、大学卒業の壁は乗り越えたかったのです。
また、お産が有ったりすると授業を見逃す・聞き逃すということが出て来ます。それも避けたかったので学習計画を立てて臨みました。
けれど、最初の学期はどんな試験が出るのか?どのように対策をすればいいのか?全くわからなかったので、また、何よりもお産を大事にしなければならないので10年かけて卒業できればいいかなぁ?!という程度に考えて4科目しか取得しませんでした。


2011年7月末
その4科目の単位認定試験


まず、驚いたのが 学生の多さ。
大阪学習センターで試験を受けているだけでも一日に300人は出入りしているだろうことが予測できました。
(後で知りましたが全国で10万人の学生をかかえているとか・・・(^_^;))



また、学生の年齢の幅
70歳は超えていらっしゃいますよね?と伺いたいくらいの年齢の方から高校を卒業して間もないくらいの学生まで実に幅広でした。

もちろん、男性も女性も区別なく沢山おいででした。


一日中、試験を受けている人もいれば1科目のみでさっさと帰っていく人もいて。


もちろん、ほかの大学でも同じような光景が予測されますが、こんなにも多くの方々が学んでいらっしゃるとは思っていなかったので単位認定試験の会場では 『よし、続けて行こう!』という勇気を貰えました。

私と大学   〜その3〜

放送大学編入するにあたって、まず、高校の卒業証明書を取り寄せました。
今は便利な世の中。
インターネットで卒業した高校にアクセスして指定の手続きをすれば卒業証明書は簡単に取り寄せられました。
次に、看護学校の証明書。
これも学校名を検索すれば出て来ます。
私の場合は卒業した看護学校を検索すると独立行政法人国立病院機構という名前がトップに出て来ました。
すでに卒業校は廃校になっていてこの機構に問い合わせるようにということと卒業して20年以上経っている場合は情報が残っていない場合があるというように書き込まれていました。
ここにきて、大学に『編入』は無理なのか?という疑問が持ち上がりましたが、電話で問い合わせましたら、情報は残っているということで証明書はちゃんと発行していただけました。(^_^;)
最終的にはこれで十分だったんですが、一つ残念に思ったのが、助産学校の単位は認定してもらえなかったことです。
文部科学省の認定を受けていないということが理由のようでしたが、助産学校のとても濃い教育はどこに行ってしまったの・・・・・といった腑に落ちない気持ちを抱え、でも、どうしようもない現実。。。残念です。


とにかく、2011年4月
大学生としての生活もスタートしました。

この頃のお天気と体調

急に空が暗くなってきて、いきなり、バケツをひっくり返したような豪雨に見舞われ…といったお天気が ここ数年、見られるようになりました。


つい先日、嘱託医療機関でサマーセミナーが開催されたので参加させていただきましたが、雷と豪雨で車で伺うのも本当に難儀いたしました。
ワイパーを全開にしてノロノロ運転この上ない状態で向いました。
会場に着いて車から下りる時も駐車場が浅い川のような状態で全身がびしょ濡れになってしまいました。
いくら夏と言えども体の芯まで冷え切ってしまいました。
この頃のお天気には気を付けなければとわかっていても着替えを持っていなかったので思わぬ失敗でした。


昔、子どもの頃は夏といえば毎日海に出て一日中泳いでいました。
入道雲(積乱雲)の様子を見ながら『もうそろそろ夏が終わっていくなぁ〜』って考えたり、夕立が来ることを予測したりしたものでした。

でも、今は予測できないくらい、いきなり、本当にいきなり、豪雨が襲いかかってきます。
小さな子供たちがいらっしゃるお母さんたちは本当に大変だと思います。
夏を謳歌させてあげたいし、急な雨には目を光らせておかなければならないし…。
夏も少しづつ、終わりに近づいてきていますが、お母さんたちがばてない様にと思ったりしています。



そんな私も夏は苦手になってしまって、ばてない様に気を付けなければと思う今日この頃です。

私と大学    〜その2〜

息子がまだ赤ちゃんだった頃、『いつか、この子と一緒にキャンパスに立ちたい…』と 考えが浮かんだものの 息子が大学生になってすぐに私も大学に、という訳にはいきませんでした。
というよりも、そんなことはすっかり心の隅っこに追いやられていて、意識下にありませんでした。


助産院を開業する前にカウンセリングの研修を受けたことがあるのですが、その時も児童虐待防止のお仕事を少しさせて頂いてて、そのためにカウンセリングの研修を受けたんですが、講師の先生が『人生の転換期には必ず、出会いがある。』とおっしゃっていたのが印象深く残っていました。
それは、私の人生の中でもやはり、転換期に『出会い』があったと納得のいく言葉だったからということでもあります。…


息子が大学に入った時に私は『これで私の子育ては一区切りがついた。』とは思いましたが、その時点ではまだ、大学に行こうなどと少しも考えてはいませんでした。
けれど、2010年の夏、『私』を見つめる大きな『出会い』がありました。
その『出会い』をきっかけに 私は大学を卒業したいと考えるに至り、2011年4月に放送大学編入学しました。

私と大学   〜その1〜

自己紹介の中に書かれていますが、私は今、大学生をもしています。
もちろん、仕事をしながらなので普通の大学に行きたいと思ってもなかなか行けるものではありません。なので、通信制の大学生です。



そもそも私が助産婦になりたいと思ったころには今のように看護系の大学はほとんどありませんでした。今のように看護系の大学が出来たのは平成9年のカリキュラム編成によるものだと記憶しています。
それまではほとんどが専門学校でした。
今は、逆に専門学校の方が少なくなり看護系の大学は180校を超えています。



そんなことはさておき、いまさら大学に行ったからといって学歴が必要な立場でもありませんから、何を今更?的なところがあります。
が、私が大学に行きたいと思っていたのは高校卒業の頃の30年以上も前からです。
当時、親に『助産婦になりたい』と話した時、親は『えいんちゃう、けど、自力で行って!』と、当たり前のように言われました。私も当然その答えを予測していたのでそうせざるを得ませんでした。

看護学校助産婦学校ともにアルバイトなどで学費と生活費を稼ぎながら卒業しました。(今だからこそ言えますが校則違反でした…。(^_^;))
その時点でもまだ大学には行きたいと思っていたので助産婦になって2年目にある通信制の大学に入りました。
でも、通信制の大学は結構、たいへんでした。
スクーリングも毎週土曜・日曜に参加しなければならなかったのですが、勤務の都合を合わせていただくのも無理がありました。
結局、息子が生まれるまでは大学に籍を置いてましたが、断念せざるを得ませんでした。
赤ちゃんを育てることもまた、働きながら大学生でいること以上に大変だったのです。
まして、当時の私は大学生であり助産婦であり母になってしまったのです。…(+o+)


でも、その時、漠然と心に思っていたことがあります。
いつか、この子と一緒にキャンパスに立ちたいと… (*^。^*)  つづく

オリンピック

連日のオリンピック競技に目を奪われています。

いろんな競技が有ることにも驚きますが、メディアで見られない競技も有ることにも驚いたり。

どんな競技であってもそれぞれの選手の方々は一生懸命でキラキラと輝いて見え、とても、きれいです。
まるで、赤ちゃんを産んだ後の産婦さんにも相当する輝きを感じます。
比べるのも妙な話ではありますが。
感動をもらうこともまた、お産に通ずると感じます。


お産は10か月をかけて身体の準備をして赤ちゃんを迎えます。その10か月の過ごし方でお産の形態が変わると言っても過言ではないように、オリンピックの選手の方々も4年をかけて、いかに準備するかによって結果が変わるんだろうなぁと思いました。


でも、今は お疲れ様でした。
感動をありがとうございました。
10か月をかけて待ちに待った赤ちゃんを迎えるように、オリンピックも4年後がまた、楽しみです。

アフリカからの助産師さん

8月1日・2日と今年もアフリカのガーナとナイジェリアから助産師さんたちがほのほ助産院に研修に来てくださいました。


去年は3名でしたが、今年は2名でした。


お二人とも本当に熱心で何かをつかみたいという気構えが伝わってきて、私も良い刺激を今年も頂きました。


研修に来られたとはいえ、彼女たちから得たものは大きかったです。


私たち助産師の仕事は、体力勝負なので疲れてしまって、時には、萎えそうになることもある仕事ですが、地球の反対側でこんなにもお産を大切に思っている助産師さん達がいるんだと思うと彼女たちに恥ずかしくないように、これからも気を引き締めて頑張ろうって思いました。


2日のランチ会にご参加くださったお母さんたちも、国際貢献にご協力いただき、ありがとうございました。